黒川検事長と賭博のオチ - 札幌の弁護士|前田尚一法律事務所
黒川検事長と賭博のオチ - 札幌の弁護士|前田尚一法律事務所
「東京高検 黒川検事長 辞任の意向固める 賭けマージャン報道で」
NHK NEWS WEB(2020年5月21日 7時31分)
⇒ https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200521/k10012438581000.html
このメール送信時はまだINGですが,
報道までの流れ,報道の内容はご存じと思います。
ふと思い出すのは,
高校の「日本史」や中学校の「歴史」の教科書に載っている,
大審院長(現在の最高裁判所長官)児島惟謙が「司法権の独立」を守った話。
1891年(明治24年)の大津事件が起きました。
以下は,『詳説日本史改訂版』(山川出版)の記載です。少し長くなります
が,ご一読ください。
「訪日中のロシア皇太子が琵琶湖遊覧の帰途,滋賀県大津で警備の巡査津田
三蔵によって切りつけられ負傷した事件。
ロシアとの関係悪化を苦慮した日本政府(第1次松方内閣)は,
犯人に日本の皇族に対する大逆罪を適用して死刑にするよう
裁判所に圧力をかけたが,
大審院長 児島惟謙はこれに反対して津田を適法の無期徒刑に処させ,
司法権の独立を守った。」
ところが,教科書には出ていないけれど,
児島惟謙が司法権の独立を守った後の有名なお話があります。
ウィキペディア「児島惟謙」を引用します。
⇒ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E5%B3%B6%E6%83%9F%E8%AC%99
児島惟謙は,「1892年6月、向島の待合で花札賭博に興じていたとして、
児島を含む大審院判事6名が告発され、時の検事総長松岡康毅から懲戒裁判にかけられた。
翌7月に証拠不十分により免訴になったが、
児島は1894年4月、責任を取らされる形で大審院を辞職した(司法官弄花事件)。」
ちなみに,「待合」とは,「待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業で、
(東京などで)主に芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。…」(ウィキペディア)
物語としての展開は全く違いますが,思い出しました。
ちなみに,さらにお話があって,
児島惟謙は,
その後,
「貴族院勅選議員(1894年 – 1898年、1905年 – 1908年),衆議院議員(1898年 – 1902年)などを歴任」したそうです。
弁護士 前田 尚一(まえだ しょういち)
前田尚一法律事務所 代表
北海道岩見沢市出身。北海道札幌北高等学校・北海道大学法学部卒。
さまざまな訴訟に取り組むとともに、顧問弁護士としては直接自分自身で常時30社を超える企業を担当しながら、弁護士として30年を超える経験、実績を積んできました。
交通事故、離婚、相続、債務整理・過払い金請求といった個人の法律問題に加え、労務・労働事件、クレーム対応、債権回収、契約書ほか企業法務全般も取り扱っています。
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